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 天元台高原は、昭和11年から同36年までに採掘を行っていた、硫黄鉱山時代の学校を宿舎に改造し、昭和38年12月にスキーリフト1基を新設し、「天元台スキー場」としてオープンしたのが始まりであります。

 その後、リフトの増設と宿泊施設の充実を図り、一般270名、団体350名を収容するロッジに改装され、最盛期には6基のリフトが稼働し、昭和40年11月にホテルが営業を開始、昭和52年には、施設と社名を一体化するため、株式会社天元台に社名を変更しました。

 昭和61年にはスキー選手の夏の強化と夏山リフトの利用客増加を図るため、全国に先駆けて「グラススキー場」を「しらかばゲレンデ」にオープン、昭和62年天元台ロッジの全面増改築とロマンスリフトを新設し、スキーの黄金時代に即応し、スキーヤーの安全確保と輸送力の増強を図ってまいりました。

 一方で、技術レベルの向上を図るため、スキースクールの強化を行い、今まで、スキー指導者1級1500余名のレベルの高い指導者を輩出し、全国に名高い実績を残すこととなり、日本のスキー技術指導の先進地として、名実ともに国際級のスキー場としての賑わいを見せてきました。 

 また、スキー大会では昭和47年のインターハイをはじめ、全国や東北及び県内の各種大会が開催されたほか、平成元年、平成17年及び平成22年には全日本グラススキー大会、高円宮牌グラススキージャパンオープンを高円宮憲仁親王殿下、同妃久子妃殿下ご臨席のもと開催されるなど、学校体育及び社会体育のスキー技術レベルの向上を図ってまいりました。

 一方で、学校や社会教育面ではスキー授業はじめ、合宿や自然教室など西吾妻山の資源を活用した取り組みを行い、スキーに限らず幅広い利用客の拡大に努めてまいりました。

 また、ロープウェイの輸送客は延べで1000万人到達が目前となり、天元台高原を半世紀にわたり、支えていただいた多くのご利用客並びにご尽力いただきました関係者の皆様に深く感謝申し上げます。

 しかし、平成に入り、スポーツの多様化や少子高齢化の影響により、スキー人口が減少していることから、前の株式会社天元台は、天元台高原の施設設備を米沢市が引き受け、その運営を担う会社として株式会社西吾妻ロープウエーが米沢市、山形県、山形銀行、米沢信用金庫はじめ、地元経済人の出資により設立され、現在に至っていることは皆様、ご承知のとおりであります。

 この厳しいスキー場経営の中、新会社が発足して10年が経過し、設立当時と天元台高原の役割も多様化し、地上デジタルテレビや警察、行政、消防に加えて、携帯電話などの通信基地が設置されてきました。

 また、米沢市民の抱える重要課題である最上川源流の酸性化対策のための松川堰の管理運営に加え、磐梯朝日国立公園と日本の百名山「西吾妻山」の自然機能の保全などに、天元台高原は地域市民の生活に欠かせない役割を担っています。

 この公益機能を守り続けていくことが、レジャーや余暇のあり方が多様化していく中で有効であり、人の環境、自然に合わせた健康づくりに勤しむに、有効な山岳観光の拠点基地として、皆様のご支援をいただきながら精進してまいりますので、一層のご支援、ご指導をお願い申し上げ、あいさつとさせていただきます。

株式会社 天元台

山田 長一

社長挨拶

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